Bova/イタリアの美しい村ボーヴァ。希少言語・グレカニコ(Grecanico)を話す人々とそれにまつわるアレコレ。

「イタリアの美しい村(I Borghi più Belli d’Italia)」に選出されているカラブリア州南部の村・ボーヴァ(Bova)。
海岸線から遠く離れた内陸の、悲しくなるほど荒涼とした丘の上に作られた村です。

目次

ボーヴァの歴史

ボーヴァに街が作られたのは古代ギリシャ時代。
入植してきたギリシャ人達によって作られた街は海沿い地域にありました。現在のボーヴァ・マリーナ(Bova Marina)のあたり。時代が下り、海賊の被害に悩まされた人々は、難を逃れて内陸に移動。現在のボーヴァをはじめとした丘の上の村を築きました。

その後、鉄道が敷かれる1800年代後半になるまでこの丘の上の村がレッジョカラブリア県内南端域の、主に宗教的な中心地だったそうです。(大司教座はジェラーチェにありました)

希少言語グレカニコが生きる街・ボーヴァ

ボーヴァは、グレカニコ(Grecanico)と呼ばれるギリシャ語由来の方言を話す地域の中心地としても有名で、道路標識ももちろんグレカニコ併記があります。

私はさっぱり読めませんのでご了承ください。

カラブリア州東岸域で、最も重要だったのがジェラーチェ。次がボーヴァぐらいの勢いで、かつては司祭の上の職種である司教がいた宗教の中心地でした。
イタリアの中心部(ローマですね)から最も遠い位置にあるため、強制的な教会のラテン語化、ずっと時代が下ってからのイタリア語化の影響が最も遅く到達した地域。
故に、高等教育を受ける機会の無かった層の高齢者を中心にグレカニコが残っています。

日本ではちょっとなじみがないことなので・・少し詳しく説明します。(ご興味ない方は次の写真まですっ飛ばしてください)

ざっくりと2500年ぐらい前、カラブリア州の東岸域にはたくさんのギリシャ人入植地がありました。カラブリア州北部コセンツァ県内では、数学者・ピタゴラスが活動したクロトーネ、南伊最大級の都市国家となったシバリが有名です。

シバリは、あのペストゥム(パエストゥムとも)の土台を築いたと言われる大都市国家。今でこそ出張所的な衛星都市の方が有名になっちゃって。。本家・シバリの人は泣いてるよ、きっと!

カラブリア州南部レッジョカラブリア県では、ジェラーチェ・ロクリ(沖合からブロンズ像が出たあたり)、そしてここボーヴァの前身となったボーヴァマリーナが大きな都市国家でした。使われていた言葉は、もちろん現在「古代ギリシャ語」と言われる言葉です。

2000年前ぐらいからローマがじわじわと精力を拡大。一帯は徐々にローマの支配下に入ります。

地元の人たちは「古代ギリシャ語」に触れる機会をなくしますが、言葉は生活の中で生き続けます。
ま、ローマもこんな遠い帝国の辺境地元民の言葉まで構っていられるほど暇じゃなかったですしね。
その後500年ぐらい経ってから、またギリシャ語を話す支配者がやってきました。東ローマ帝国(ビザンツ)です。
支配者たるビザンツさん達、外国語を話すはずの征服地・ボーヴァ辺りの一般人と問題なく意思疎通ができてびっくりした!という記録を残しているそうです。

ボーヴァに残っていた言葉とビザンツさんたちの言葉とは、なんだか訛ってるけどお互いわかるぞ!的な距離感だそう。

ビザンツは西暦1100年になる前にカラブリア州から撤退。ボーヴァはローマの支配下に入ります。ここで支配者たるローマは、祭事に使う言語をラテン語にすることを強要します。
ま、どこの国でも「共用語」を押し付けるのはセオリーですよね。

「祭事の言語」を特定するのは、学校制度などが整っていない時代は一般の人が言葉に触れる機会っていうのが教会を通してだったから。
この頃は、教会の司祭さんの言葉を聞き覚えて使っていた層が圧倒的多数な時代です。識字率は大変低く、教会や公共の場で聞き覚えた言葉を使う層は、簡単に言語情報が上書きされます。
そして、政治的に重要な立場にいればいるほど「共通語」の読み書きが必要になる。
ここで教養が高い人ほど「共通語」を使い、読み書きが出来ないものの教会には来られるそうがなんちゃって「共通語」を使い、教会にすら来られない層は方言・つまりグレカニコを使う構図が出来上がります。

地主・農民・小作人の階級がはっきりと分かれていたからこそ、貧しい層の日常生活の中にグレカニコはひっそり残ることができた、という専門家もいます。

その後イタリアが近代化を進める中で、今度は「イタリア語化」が協力に勧められます。強行だったと言われるのがムッソリーニで、彼のお陰でグレカニコはほぼ一掃されました。この結果、
グレカニコを話す=教育が無い(貧しい)=恥ずかしい
の構図がますます強くなり、話せる人も外でグレカニコを使わないようになったんだとか。

ジェラーチェ(Gerace)は地理的にボーヴァよりもずっと北側。ローマに近い分、ラテン語化もイタリア語化もボーヴァよりもずっと先に行われました。
さらに不幸なことに、それなりに便利な立地条件が人の往来を活発にさせ、結果的にグレカニコを話す人たちが「共通語」を話す人たちと交流する機会も増え、グレカニコ文化が早い段階で消滅しています。

ボーヴァで、このままグレカニコが消滅しちゃダメなんじゃない?っていう活動がはじまったのが約40年前。きっかけは、ボーヴァの人。。。ではなくて、希少言語・グレカニコの存在に気が付いた外から来た研究者たちでした。
きっかけはともかく。現在、ボーヴァを中心にグレカニコの保全・教育の活動は広がっていて、サマースクールなどを通して子供たちにも自分たちの方言を教えようという運動が続いています。

街の中の様子

村歩きはこの機関車(なぜこんなところに?)のある広場から。
ここから丘の上の城跡まで「垂直登攀!?」ぐらいの勢いで10分ほどかかりますので気合を入れてください(笑。

崖の上に作られた街なので、基本的にずっと登っていけば城址にたどり着きます。途中、大変風情あるお屋敷跡や、塀などを見ることができます。そして振り返れば雄大な地中海!

城址からは登り切った人にだけ許される絶景がありますので、ココは頑張るところ。真夏は日差しを避ける場所がないので、日よけや水分を必ず持参ください。

ちなみに冒頭の機関車、海沿いのボーヴァ・マリーナで使われていた物。近代鉄道設置の記念にボーヴァまで引き上げて来たんだそうですよ。

街中にはいくつかバーがあって、お昼休憩を長くとるものの必ず営業しています。

行き方

海沿いの街ボーヴァ・マリーナまでは単線ながらもレッジョから電車(レッジョ~カタンツァーロ線)がありますが、肝心のボーヴァまでは車が無いと到達できません。

ボーヴァ・マリーナから丘の上のボーヴァまではバス便もあるそうなんですが、カラブリア州でよくありがちなあるにはあるけれど運行時間等は全く不明のバス。これを利用した旅程を作るのは、並みの旅行者にはレベルが高すぎると思います。
しかも駅前のにいた人たち、ほぼ全員が訛りまくっていて彼らのイタリア語(?)を理解するのもレベル高め。基本的にみなさんとても親切で、なんとか問題を解決しようとしてくれるはずですが…訪問に当たっては車があったほうが絶対安心です。
※駅前に小さなBarがあります。

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この記事を書いた人

澤井英里のアバター 澤井英里 Sawai Eri

イタリア半島の南端・カラブリア州在住。普段は専門職、趣味で現地コーディネーターやアテンド、通訳などをしています。一応ソムリエ。かに座のAB型。

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