中世、ヨーロッパ最高品質の絹の生産地だったカラブリア。当時の支配者・両シチリア王国の王様が徹底した品質管理を行い、1519年頃には品質についての法律を制定。コレにそぐわない絹は州外に出さないように一元管理をしていました。
管理の拠点となったのは現在州都のあるカタンツァーロ市(Catanzaro)。ここに一帯で生産された絹が集められ、絹織物や糸そのものがヨーロッパ各地に輸出されていました。同時に織物の技術者もヨーロッパ各地で活躍。コモや南仏の織物の産地へ絹織物文化と技術を伝えたのはカラブリア人!という自負が彼らにはあります。
※下の方にお蚕さんの写真があります。ウネウネが苦手な方はご注意を。
この辺りの蚕は、中国・日本などで人工交配された真っ白の糸を作る品種と、金色・黄色・オレンジ色・緑色をつくるそれぞれの野生品種がいます。
緑色といっても、白い繭がキラキラと光る程度の薄緑。希少価値の高い野生品種で、体が弱く(‼)育成も難しいんだとか。お体が弱いなんて、なんて高貴なイメージなお蚕さんなんでしょ。
繭の状態だとこんな感じ。手前の白っぽい繭が「緑色」と呼ばれる色です。
中国・日本で作出された人工交配品種は、糸の量も多くなるように品種改良されいるんだそう。引き換え野生種は、人工交配品種の1/3程度しか糸が取れません。染色する必要もないので大変重宝され、大切に生育されていたようです。
実はカラブリア州の養蚕文化、17世紀に入ると生産数が激減。19世紀・20世紀には世界的な蚕の病気の発生やカラブリア~シチリア間で多発した地震などの影響で壊滅的なダメージを受け、大規模生産が一時中断します。そして残ったのが桑畑ってわけですね。カラブリア州内は各地に大きな桑畑が現存しています。(今でも実を食べますよ♪)
個人宅で細々と続けられていた養蚕を「州の文化」としてしっかりと守っていこうという活動が始まったのが3年前。カタンツアーロ県の小さな村で「そういえば、ウチの土地に桑の畑があるよ!」っていう若者たちが集まり、グループを作ってカラブリアの養蚕文化を復興させ、広く伝える活動を始めました。
写真のドメニコ君が中心メンバー。彼の桑畑は約3000本の桑があります。彼の一族も細々と養蚕を続けていた一家で、お蚕さんと養蚕技術はご両親から譲られたもの。
こちら、別のメンバーの家で眠っていた機織り機。彼らが桑畑の管理・養蚕・絹糸生産・染色(自然染料のみ)・製品化・販売・マーケティングとぜーんぶやってます。
公の援助は一切受けず、小さいながらも博物館を作り、特に小学生の社会科見学を受け入れて啓蒙運動を行っています。今年は口コミで訪問するイタリア人や観光客が増え、この9月までに約4000人の訪問客があったんだとか!
歴代の教皇・法王に珍重された歴史をなぞり、昨年はヴァチカン市国にも製品を納める事もできたとか。かつて、ローマ法王が着任時に着用した紫色のガウン。あれ、カラブリア製ですから! しかもカラブリアの海で採れる貴重な貝から色素を取って染めていたんですよー。
それでも色々な技術が失われてしまっていて、その中でも特に大変なのがお蚕さんのお世話のコツ。
特にこれからの時期は病気になってしまうこともあるんだとか。日本ではどうやっているのかな?と興味津々でしたよ、ドメニコ君。
そーいえば、お蚕棚ってありましたよね、日本。技術を教えてくれる先生を絶賛募集中だそうですよ。
いつか富岡製糸場に行ってみたい。。。と夢見るように話してくれたドメニコ君でした。うんうん、いつでも日本へいらっしゃい!