別名・ハンニバルの橋。カラブリア州の小さな史跡Ponte Romano(ローマ時代の橋)へ行って来た

カラブリア州コセンツァ市を流れるサブート(Savuto)河。河の上流域はワインの生産でも有名で、DOCサブートの産地でもあります。
コセンツァ市自体もサブートとブセント(Busento)河のお陰で発展した歴史がありますが、コセンツァ市から車で30分ほどの山間に、かつてハンニバル(イタリア語だとAnnibale)も通過したと言われる橋が現存しています。

こちら、ハンニバルさん。某博士じゃないですよw
ハンニバルさんについては以下を参照下さい。

ウィキからの引用開始

ハンニバル・バルカ(Hannibal Barca, ポエニ語: 𐤇𐤍𐤁𐤏𐤋𐤟𐤁𐤓𐤒, 紀元前247年 – 紀元前183年/紀元前182年)は、カルタゴの将軍。ハミルカル・バルカの長子。ハンニバルは「バアルの恵み」や「慈悲深きバアル」、「バアルは我が主」を意味すると考えられ、バルカとは「雷光」という意味である。

第二次ポエニ戦争を開始した人物とされており、連戦連勝を重ねた戦歴から、カルタゴが滅びた後もローマ史上最強の敵として後世まで語り伝えられていた。2000年以上経た現在でも、その戦術は研究対象として各国の軍隊組織から参考にされるなど、戦術家としての評価は非常に高い。

引用終わり

世界史勢にとってはハンニバルと言えば第二次ポエニ戦争。なんだか懐かしいお名前です。
カルタゴ、現在のシチリアの一部から北アフリカ海岸沿い、スペイン南部にまで国土を持っていた海洋王国の将軍で、象さん、といっても戦象ですが、を30頭以上連れてアルプス越えしてローマ帝国をびっくりさせた人として北イタリアでも相当な知名度を誇り、アルプス周辺の街には銅像があったりします。

アルプス越えといえばナポレオンも有名ですが、彼は馬でしたからね。今から2000年ほど前に象さんでアルプス越えってインパクト凄い。

という訳で、カルタゴの将軍ハンニバルさんは象を連れてアルプス越えしてローマと戦争し、一端大勝利するものの色々あって()敗北してお国に帰る事になるのですが、そんな彼が失意のうちにカルタゴに戻った際に通過した(と言われる)道がイタリア各地にはたくさんあります。
コセンツァ市郊外の通称「ハンニバルの橋」もその内の1つ。サブート河にかかる写真の立派なアーチ型の美しい橋です。

この橋の本名(?)はポンテ・ロマーノ(Ponte Romano)。ローマ時代の橋と言いまして、昨今の研究で土台部分が確かにローマ時代の建造であることが科学的に証明され、地元でも「おお!伝承は本当だった!」とニュースになりましたw 

橋のふもとには、かつて教会兼製粉所として使われていた建物があります。
ここまで、車から10分ほど石畳の下り道をひたすら歩く事になるので、運動靴必須。

建物の脇になんてことなく掛かっているこの橋が、ポンテ・ロマーノ。通称ハンニバルの橋です。
って、この橋を象さんで渡って大丈夫だったのかな…

橋はもちろん石畳が敷いてあります。転落防止用の柵とか、なまっちょろい物はなくて抜群に素晴らしい。(こーいった場所はもちろん自己責任です)

実は修復もされていて、現在の橋の土台部分はコンクリ建築になっています。
が、上から見ると普通に古い橋なんですよね。最初はちょっと怖かったw

近くに土地を持つ農家さんとかがApeとかで利用しているみたいなので、ニンゲンが渡っても大丈夫でしょう。って事で、おそるおそる渡って来ました。

橋の上からぱちり。
川面まで大分距離がありますが、川が川底を削って行ったことを想定すると…2000年ほど前はさほど高さのある橋ではなかったのではないか、と想像できますが。それにしてもずいぶん高いね。

ちなみにサブートは、シラ国立公園からの雪解け水が源泉の河で、ティレニア海に注いでいます。

橋を渡り切って振り返るとこんなカンジ。
アーチ型なのが良くわかりますね。
渡ってしまうとなんてことない橋なんですが…うん、ちょっと良かったので何往復かしましたw

橋の周囲はぐるりと周回コースで歩けるようになっていて、およそ1時間ほどの散策を楽しめます。

観光客は絶対行かない場所ですが。カラブリア州にはこーんな所もあるんだなーと。
お天気の良い日にまた行ってこようかな。

Ponte Romano(Ponte di Annibale)
「Ponte di Annibale, Scigliano」 で検索すると出てきます。

大まかな場所
高速 Alitlia-Grimaldi 出口から車で5分ほど。
橋へ通じる歩道入口に小さな看板が出ているので、適当に路駐してレッツゴー

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